議論することに大抵意味は無いんですよ 哲学者の本を読んで思ったこと
みんな議論が大好き
自分の意見を言うの気持ちいいもん
でも意見ってほとんど意味をなさないということが今回わかった
何故かっていうと
そもそも論点がずれてるだけの人が多いから
そんな状態で議論するから、なんか無意味だなーって思うことがわかった
- 作者: 土屋賢二
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/02/07
- メディア: 文庫
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この本読んでから学んだことだけど、結論としては「そもそも問題として設定するのが間違ってる」
何故人間は八本足か?
哲学の問題、って考えるとなんか意味あるのかなー?と思ってしまうこともあるけど
実は意味なんてないだろ、八本足ではないだろ基本的に、そもそも最初の疑問設定に意味がない
世の中の議論のほとんどにこれが言える
先日、ツイッター上の議論で
「立ち読みは、書籍販売に関わってる人の利益を考えてない!読むなら買えよ!」
と主張してる某著名な方がいらっしゃいました
『立ち読みで全部すますなんて食い逃げと一緒だ!』との主張
それに対して「でも読める状態で置いてる」とか「嫌なら立ち読み出来ないようにすればいいじゃん」って反論する人もいるし
反対に
「その通りだ!食い逃げと一緒だ!私は本を買うようにしてるぞ!」って同意してる人もいて
議論が深く続いてたけどよく考えようよ
たぶん、問題設定として「立ち読みで全て済ますのは食い逃げと一緒だ」という主張がそもそも意味あるのか??と思います
幾つか挙げると
「立ち読み自体に対して特に罰する規定は無い(はず)」
「立ち読みはどこからどこまでが良いとか悪いとか決まってない」
「じゃあCDの視聴も一緒で、全部聴いたとして買わなかったら悪いことなのか?」
とか色々と考えました
たぶん、先の主張から言えることって
「モラルとして、まぁ買ってくださいよ」
ぐらいだと思う
どこかで食事をしようとしたら、食べ物を注文した状態で交渉が成立するんじゃないかと思うので
食べようと食べまいと支払いは発生するんじゃないだろうか
そうだと考えたら、買うという意思を示していない人に対して食い逃げと一緒だというのは別になんも意味は無いし、その意見は悪いことだ!って言っても別に何も生まれないと思うんだ
「試食品をあるだけ全部食べるのは悪いことだ!金払え!」って言われたらそれってモラルの問題ではあるけど、金払えは別だろ一応は無料で配ってるはずのものなので
だからこの本読んで、色々とツイッター上で喧嘩してる人って、なんか他の目的があるか、喧嘩腰かだけなんだなーと思うようになった
まぁ、僕も本は買うの好きですし
立ち読みを擁護してるわけでもなんでもないけど
みんな仲良くやっていこうぜ…
考え方一つ学ぶと他の人の色々な側面が見えてくるなー